お母さんに抱かれて、帰っていかれました
水子さんのこと
■ 参拝していると、赤ちゃんが浮かぶことがあります
私は毎月、神社に参拝させていただいています。
そこで、赤ちゃんの姿が浮かぶことがあります。
水子さんだな、と思って、癒えますように、とお願いします。
実際に、癒えていかれるイメージが浮かびます。
それで、ああ良かった、と安心していました。
ずっと、それで足りていると思っていました。
■ 先日、考えが変わりました
あるセラピーでのことです。
その方の中に、生まれてこられなかったお子さんがおられました。
離れたくない、と言って、そこにずっとおられたのです。
お母さんに抱かれたかった、と。
それで、お母さんご本人に、抱いてあげていただきました。
すると、笑って、満足したお顔になって、帰っていかれました。
私は、心が温かくなりました。
■ 祈ることと、抱いてあげることは、違いました
私のような者が祈って、成仏されたな、と感じることはあります。
それも、働いていると思います。
ただ、お母さんご本人に抱かれた時の、あの満たされ方は、別のものでした。
他人ではなく、親子なのです。
親子が直接できること。それは、セラピーでしかできないことでした。
■ 水子さんは、怒っておられません
これは、はっきりお伝えしたいことです。
水子さんが、お母さんを恨んでいたり、怒っていたりすることは、ありません。
私はそういう場面を見たことがありません。
そうではなくて、そばにいたい。思い出してほしい。
そう思って、そこにおられることが多いのです。
いろいろなご事情があります。その事情を、責めておられません。
■ お互いが、留めあっていることがあります
お母さんの側には、罪悪感があります。
その罪悪感があるから、離れきれません。
そしてお子さんのほうも、お母さんがその状態だから、離れられません。
どちらも相手を思っているのに、お互いがその場に留まってしまう。
そういうことが、起きています。
■ 成仏できたのか、分からないという方へ
手を合わせてこられた方から、よく聞きます。
本当に成仏できたのか、自分の感覚では分からない、と。
分からなくて当たり前だと思います。
ただ、ご自分で体験された時は、違います。
そのあとに、理由のないすっきり感が来たり、よし頑張ろう、という気持ちが出てきたりします。
体と暮らしのほうが、先に教えてくれます。
■ 気になる、ということが合図です
最後に、ひとつだけ。
この話を読んで、何も感じなかった方は、それで大丈夫です。
気にならないなら、その必要がないということです。
でも、もし、何か気になられたなら。
気になる、ということ自体が、合図です。
その時は、どうぞお声をかけてくださいね。



