自己の身分不相応、努力不相応の貪欲我利(どんよくがり)の妄執より発想せる信仰は、信仰と利益との取引交換と言うものにして、
不純性の信仰より更に奥深く堕落した穢濁(えだく)信仰であって、正しい神仏が最も忌み嫌われるものである。
穢濁(えだく)信仰を最も大歓迎するのは宇宙天地間に遊業する色々な魔性邪霊類属であって、魔性邪霊類属は人類の最大の弱点とも言うべき無限の貪欲望心につけいって、正神の神仏の如く偽装して、巧妙な霊告や色々の奇験類を示現(じげん)して霊理的に無知な人心を惑乱(わくらん)し、特別の事情のあるものを除いて、ほとんどの大部分は、祈願の内容の善悪差別の如何(いかん)にかかわらず、不正邪悪の願望にも利益を与えて、祈願の信者の歓心的信仰念を増々強固にして彼我の
魔縁結合をいよいよ強固にして、穢濁信仰者の数量を増加せしめて、自己の勢力を拡大にして、該当の信者が帰幽せる後は、在世中に於ける魔因結合の応報として、いやおうなしに妖魔界系統の諸境へ引き入れて魔性邪霊類属の眷属(ケンゾク)として無限に酷使されるものにして、在世中に結合せる魔因邪縁が解消されるまで、数十年間、数百年以上も、地獄の責苦同様の深重なる大苦痛に苦辛せねばならぬのであって、
この怪奇・悲惨とも言うべき実況は、例え自ら招いた因果応報・自業自得とは言えども、真に身ぶるいするほど恐怖に満ちたものだ。

私もはっきりとはわからないのですが、スピリチュアルにものすごく神様が嫌がっておられるのが合図として来ます。
金運や神秘性ばかりを求める精神、努力をせずに「神様に祈っても何も効かない」・・と嘆いている日本人。
かつての日本人は、その様なことはありませんでした。
コツコツと努力したそうです。
いつの間にか一攫千金の様なものに憧れ、そう言ったものに目を奪われる。
そこに魔がつけ込むのですね。
正しい神様は、努力される方にお力をかしてくださるものだそうです。
毎日毎日コツコツと頑張り、そして、真っ直ぐと生きること。
それが正しい神様とつながるコツになります。